
隅田川を上流から下流へと向かって歩いてみることにしました。
隅田川の総距離は23.5kmということなので、大体歩くとして30km位でしょうか。
1日で歩けないことはない距離ですが、数回に分けてふらりと歩く予定です。
写真はそのスタート地点。
今回はそのスタート地点である隅田川と荒川の分岐点の岩淵水門を見に行ってきました。
岩淵水門近辺の地図。
JR赤羽駅を出て埼玉方面へ向かう電車が荒川を渡るとき、進行方向右手に見える水門、それが隅田川と荒川の分岐点となる岩淵水門。
手前の赤い水門が旧岩淵水門で、奥の青い水門が新岩淵水門。
今回のこの散歩を考えたとき、まず最初に探したのは隅田川のスタート地点。
隅田川は荒川から分かれているということは知っていましたが、具体的な分岐点は知りませんでした。
探した結果わかったことは隅田川の始まりはこの岩淵水門であるということ。

そこで気になったのはなぜ岩淵水門が始まりであり、そしていつ頃、なんのため作られたのか?
また、隅田川と荒川の関係。
調べてみるとおもしろい事実がわかってきたので、ちょびっとだけ書くことにします。

そもそも、今、皆さんが荒川と呼んでいるあの川ですが、あれ、実は人工で掘られた川なんですよ。
え?信じられないって!
ま、たしかにあんなに太い川をほんとうに人が掘ったのか?という疑問が湧くかもしれませんが、本当です!
そして、今、隅田川と呼んでいる川が元々は荒川だったのです!
荒川はもともとやんちゃな川(暴れ川)だったようで、たびたび下流域などに問題を起こしていました。
そして、明治43年(1910年)8月のことですが非常に長く続いた雨によって荒川(いまの隅田川)と他の主要河川がみんなそろって大氾濫。
この関東大水害と呼ばれる出来事によって、大規模な被害が発生。
ついに荒川の水害対策に政府が動きだします。
翌明治44年(1911年)に根本的な水害対策の必要を受け、荒川放水路(いまの荒川)の建設を決定。
大正13年(1924年)の岩淵水門完成(旧)により放水路への注水が開始され、昭和5年(1930年)、約17年かけて完成したのが荒川放水路(いまの荒川)。
完成以降は東京が洪水に見舞われることは無くなりました。
そして、昭和40年(1965年)3月24日に出された政令によって荒川放水路が正式に荒川となり、岩淵水門より分かれる川が隅田川となったのです。
隅田川と正式に呼ばれる川の誕生です。
荒川が人工の川(放水路)であるとか、元々は隅田川だったとか、おもしろくないですか?
ということで、ここ岩淵水門が隅田川のスタート地点となるのです。
まずは旧岩淵水門から!

昭和57年(1982年)に新水門(青水門)が完成するまで、大正13年間(1924年)から58年間、東京の水害を守り、お役御免となった旧岩淵水門(赤水門)。
水門の上(裏)を歩くことが出来、渡りきった先には中之島(水門公園)があります。

ぐるっと一周してもほんの数分でまわることが出来る大きさの島(公園)です。

釣りをしている人がいました。
何が釣れるのでしょうかね。

梅雨の真っ直中でしたので、雨がぽつりぽつりと降ってきはじめました。
本格的に降り出す前に、新水門へと向かいます。
そして、なんだか要塞の入り口のよう。

旧水門と同じように裏側を歩けます。
そして、裏から見たこの川が隅田川。
これから下流に向かって歩く川です。
カルガモの親子はスイスイ泳いでいました。
一足先にスタートですね。

さ、次回からはいよいよ隅田川下り散歩の開始です!
出来るだけ隅田川沿いを下流に向かって歩き、目指すゴールは東京湾と隅田川の境目!
なんだか、やっと散歩サイトっぽくなってきたな〜。
とりあえず、ゆるゆるですが、がんばるぞ!

撮影カメラ:GRD2


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